好きな事を続ける

朝倉博士 #写真家

朝倉さんの経歴を教えてください。

1990年、神奈川生まれです。中学高校は横浜にある高校に通っていました。ずっとサッカーをしていましたね。大学は八王子にある中央大学文学部英語文学文化学科に入学。英語の先生になろうと思っていたので選びました。最終的に二単位足りなくて5年で卒業になってしまいました。

写真との出会いはいつですか?

高校生の時に雑貨屋に行ったりしてて、HABU さんとかの写真集が置いてあって空の写真が綺麗だなって素直に思って写真に出会いました。

高校生から写真を撮り始めたんですか?

あまり本格的ではありませんが使い捨てカメラはいつも持っていて、友達、先輩、後輩や家族を遊びで写していました。

本格的に写真にのめり込んだのはいつからですか?

大学生になった時ですね。サッカーも辞めたので他のことをやろうと思ったときに大学の写真部の暗室に行ってみたら面白そうだったんで、本格的にではないですけど始めました。暗室も使い放題だったんで良かったです。カラーもあって。結構しっかりした暗室でしたね。でも、そこから写真を仕事にしようとかカメラマンになろうって人はほとんどいませんでした。初めはただ楽しく写真を撮ってはプリントしての繰り返しをしていました。

卒業後は写真系の仕事に就こうと考えていたんですか?

卒業後は直アシもしくはスタジオに行こうと思っていたんですが、大学を卒業する少し前にストックホルムに行きました。そこでカルチャーバリアというか言語が通じないことが多く、働き始める前に言語を勉強したいと思って、海外に行こうと決めました。

ストックホルムに行くきっかけは?

大学生の時にスウェーデンからの交換留学生のアントニオに出会いました。アントニオが写真をやってみたいって暗室に遊びに来たんです。そこから仲良くなって。アントニオと休みになるとヒッチハイクして北海道行ったり九州行ったり一緒に旅をして。その時に撮った写真は個人的にまとめています。その当時の僕にとって彼はとても美しい少年で最高の被写体だとも感じていました。アントニオがストックホルムに帰ったので僕も遊びに行こうかなって大学卒業する前にストックホルムに行きました。三ヶ月間くらいですね。

英語は最初から喋れたんですか?

大学受験の時に結構勉強したので英語自体はなんとなくは喋れました。けど自分の深い部分を話したりするのは難しかったです。アントニオやスウェーデンで会った方々と話したり教えて頂いて勉強しましたが辛いことは多々ありました。

大学卒業後は再び外国に行くためにお金を貯めたんですか?

卒業してから川崎の港で働いてました。当時、職場の写真は特に撮っていませんでしたが、日雇いのバイトで肉体労働をしていました。

次はどこへ?

ベルリンです。

なぜベルリンを選んだのでしょうか?

ベルリンは音楽が盛んなので選びました。また、たくさんのアーティストが集まっている街と聞いていました。ベルリンは全くないとはいえませんが、性差別や人種差別があまり感じられない街だったと思うので、人の目が気になるということがあまりなかったので僕には居心地は良かったように思います。たくさんのアーティストの方々の作品を見たり話を聞いたりしたことはとても刺激になりました。

ベルリンでは何していたんですか?

自転車でご飯を届けるバイトや友達の古着屋で働いて写真撮ってました。CONTAX T3、カラーフィルムで撮影していました。

ベルリンには何年いたんですか?

1年です。気持ち的にはもっといたかったんですが、語学には自信がついてきたのもありますし、本格的に写真の勉強をしたくて帰ってきました。あの時のベルリンでの環境と東京に帰っての環境を思い比べたら、東京の方が良さそうだなと素直に思いました。今までは独学で暗室作業をしながら写真をしていただけなので、写真に向き合うじゃないですけど、基本的なことを勉強したくなったんですね。やらなくていいことだったかも知れないんですが、自分には必要だと思って。スタジオ写真もやってみたかったですし、ライティングの勉強もしたかったです。

帰国後はスタジオに行ったんですね?

はい。スタジオ23に入りました。23は知り合いのカメラマンに一度連れていって頂いたことがあったのと友達の兄弟子が23の OB だったので面接を受けてみたら、運良く働かせて頂くことができました。

スタジオはどうでしたか?

休みがなく大変でした(笑)。会社ですので人間関係も大変でした。また、大量のペーパーが使われて一瞬で捨てられていくのは、環境に良くないといつも心を痛めていました。業界的に見直すべき点はたくさんあると思います。ですが、たくさん学んだこともあります。ライティングや仕事に対する姿勢など特に学べたと思います。僕はベルリンでフードデリバリーの仕事をしていた時も友達のお店で時間を潰してて首になってしまうような人間でしたので……スタジオでの撮影はEコマースや淡々と流れ作業のようなルックブックの撮影も多かったのですが、撮影で自分のイメージを持って画作りしているフォトグラファー、きちんとクリエイティブに真摯に向き合って表現しようとしているフォトグラファーには惹かれました。

好きな写真家は誰ですか?

好きな写真家も5年前などと比べると大分変わってしまっているのですが、海外の写真家ではニック・ナイト、ティム・ウォーカー、マン・レイ、サム・ハスキンス、ヴィヴィアン・サッセン。国内では操上和美さん、横須賀功光さんが好きです。シュルレアリスムが好きなのだと思います。

カメラは何を使っていましたか?

Mamiya RZ 67 proⅡ、Leica M6、Contax T3を使っています。

読んでいる雑誌はありますか?

誌面で見ることは最近減っていますが、Instagram や Web では毎日いろんなマガジンを見ています。

インプットは何が一番多いですか?

一概には言えませんが、今までの経験、写真集、昭和時代のカルチャー、社会問題もあるとは思います。これからはもっとアウトプットできるよう努めます。

今後はどんな仕事したいですか?

写真集出版、雑誌広告撮影、展示、プリント販売、いろんなことに挑戦したいです。

フィルムは好きですか?

好きです。状況によりけりだとは思いますが、可能であれば仕事でもフィルムをメインで使いたいです。

好きな同世代の作家はいますか?

中国出身のフィッシュ・チャンとインドネシア出身のアディ・プトラです。二人ともいまだに手焼きでプリントするフォトグラファーでとても好きです。

朝倉博士
1990年生まれ。東京都を拠点とするフォトグラファー/写真家。
2014年、中央大学文学部英語文学文化学科卒業。
大学在学時は暗室で多くの時間を過ごし休暇中には様々な土地を訪れる。
2016年渡独、2017年帰国。2018年〜20年都内スタジオ23にて勤務後に独立。

Photo:Makoto Nakamori, Masaou Yamaji
Video:Ryo Kamijo
Text:Makiko Namie, Makoto Nakamori

好きな事を続ける

朝倉博士 #写真家

朝倉さんの経歴を教えてください。

1990年、神奈川生まれです。中学高校は横浜にある高校に通っていました。ずっとサッカーをしていましたね。大学は八王子にある中央大学文学部英語文学文化学科に入学。英語の先生になろうと思っていたので選びました。最終的に二単位足りなくて5年で卒業になってしまいました。

写真との出会いはいつですか?

高校生の時に雑貨屋に行ったりしてて、HABU さんとかの写真集が置いてあって空の写真が綺麗だなって素直に思って写真に出会いました。

高校生から写真を撮り始めたんですか?

あまり本格的ではありませんが使い捨てカメラはいつも持っていて、友達、先輩、後輩や家族を遊びで写していました。

本格的に写真にのめり込んだのはいつからですか?

大学生になった時ですね。サッカーも辞めたので他のことをやろうと思ったときに大学の写真部の暗室に行ってみたら面白そうだったんで、本格的にではないですけど始めました。暗室も使い放題だったんで良かったです。カラーもあって。結構しっかりした暗室でしたね。でも、そこから写真を仕事にしようとかカメラマンになろうって人はほとんどいませんでした。初めはただ楽しく写真を撮ってはプリントしての繰り返しをしていました。

卒業後は写真系の仕事に就こうと考えていたんですか?

卒業後は直アシもしくはスタジオに行こうと思っていたんですが、大学を卒業する少し前にストックホルムに行きました。そこでカルチャーバリアというか言語が通じないことが多く、働き始める前に言語を勉強したいと思って、海外に行こうと決めました。

ストックホルムに行くきっかけは?

大学生の時にスウェーデンからの交換留学生のアントニオに出会いました。アントニオが写真をやってみたいって暗室に遊びに来たんです。そこから仲良くなって。アントニオと休みになるとヒッチハイクして北海道行ったり九州行ったり一緒に旅をして。その時に撮った写真は個人的にまとめています。その当時の僕にとって彼はとても美しい少年で最高の被写体だとも感じていました。アントニオがストックホルムに帰ったので僕も遊びに行こうかなって大学卒業する前にストックホルムに行きました。三ヶ月間くらいですね。

英語は最初から喋れたんですか?

大学受験の時に結構勉強したので英語自体はなんとなくは喋れました。けど自分の深い部分を話したりするのは難しかったです。アントニオやスウェーデンで会った方々と話したり教えて頂いて勉強しましたが辛いことは多々ありました。

大学卒業後は再び外国に行くためにお金を貯めたんですか?

卒業してから川崎の港で働いてました。当時、職場の写真は特に撮っていませんでしたが、日雇いのバイトで肉体労働をしていました。

次はどこへ?

ベルリンです。

なぜベルリンを選んだのでしょうか?

ベルリンは音楽が盛んなので選びました。また、たくさんのアーティストが集まっている街と聞いていました。ベルリンは全くないとはいえませんが、性差別や人種差別があまり感じられない街だったと思うので、人の目が気になるということがあまりなかったので僕には居心地は良かったように思います。たくさんのアーティストの方々の作品を見たり話を聞いたりしたことはとても刺激になりました。

ベルリンでは何していたんですか?

自転車でご飯を届けるバイトや友達の古着屋で働いて写真撮ってました。CONTAX T3、カラーフィルムで撮影していました。

ベルリンには何年いたんですか?

1年です。気持ち的にはもっといたかったんですが、語学には自信がついてきたのもありますし、本格的に写真の勉強をしたくて帰ってきました。あの時のベルリンでの環境と東京に帰っての環境を思い比べたら、東京の方が良さそうだなと素直に思いました。今までは独学で暗室作業をしながら写真をしていただけなので、写真に向き合うじゃないですけど、基本的なことを勉強したくなったんですね。やらなくていいことだったかも知れないんですが、自分には必要だと思って。スタジオ写真もやってみたかったですし、ライティングの勉強もしたかったです。

帰国後はスタジオに行ったんですね?

はい。スタジオ23に入りました。23は知り合いのカメラマンに一度連れていって頂いたことがあったのと友達の兄弟子が23の OB だったので面接を受けてみたら、運良く働かせて頂くことができました。

スタジオはどうでしたか?

休みがなく大変でした(笑)。会社ですので人間関係も大変でした。また、大量のペーパーが使われて一瞬で捨てられていくのは、環境に良くないといつも心を痛めていました。業界的に見直すべき点はたくさんあると思います。ですが、たくさん学んだこともあります。ライティングや仕事に対する姿勢など特に学べたと思います。僕はベルリンでフードデリバリーの仕事をしていた時も友達のお店で時間を潰してて首になってしまうような人間でしたので……スタジオでの撮影はEコマースや淡々と流れ作業のようなルックブックの撮影も多かったのですが、撮影で自分のイメージを持って画作りしているフォトグラファー、きちんとクリエイティブに真摯に向き合って表現しようとしているフォトグラファーには惹かれました。

好きな写真家は誰ですか?

好きな写真家も5年前などと比べると大分変わってしまっているのですが、海外の写真家ではニック・ナイト、ティム・ウォーカー、マン・レイ、サム・ハスキンス、ヴィヴィアン・サッセン。国内では操上和美さん、横須賀功光さんが好きです。シュルレアリスムが好きなのだと思います。

カメラは何を使っていましたか?

Mamiya RZ 67 proⅡ、Leica M6、Contax T3を使っています。

読んでいる雑誌はありますか?

誌面で見ることは最近減っていますが、Instagram や Web では毎日いろんなマガジンを見ています。

インプットは何が一番多いですか?

一概には言えませんが、今までの経験、写真集、昭和時代のカルチャー、社会問題もあるとは思います。これからはもっとアウトプットできるよう努めます。

今後はどんな仕事したいですか?

写真集出版、雑誌広告撮影、展示、プリント販売、いろんなことに挑戦したいです。

フィルムは好きですか?

好きです。状況によりけりだとは思いますが、可能であれば仕事でもフィルムをメインで使いたいです。

好きな同世代の作家はいますか?

中国出身のフィッシュ・チャンとインドネシア出身のアディ・プトラです。二人ともいまだに手焼きでプリントするフォトグラファーでとても好きです。

朝倉博士
1990年生まれ。東京都を拠点とするフォトグラファー/写真家。
2014年、中央大学文学部英語文学文化学科卒業。
大学在学時は暗室で多くの時間を過ごし休暇中には様々な土地を訪れる。
2016年渡独、2017年帰国。2018年〜20年都内スタジオ23にて勤務後に独立。

Photo:Makoto Nakamori, Masaou Yamaji
Video:Ryo Kamijo
Text:Makiko Namie, Makoto Nakamori