藤原ヒロシ #プロデューサー
学生の頃、制服を脱ぐのが苦痛だった。休日に友達に会う苦痛。ファッションやカルチャーは、笑われないようにする為に興味を持ったかもしれない。答えを求め縋ったのが雑誌だったと思う。
そこに書いてあることが正解だと信じ切っていた頃の雑誌の中には「藤原ヒロシ」の名がいつもそこにあった。
何者かもわからずに尊敬と憧れを抱いていた昔。今でこそ撮影をお願いできる関係になったが、知れば知るほど遠い存在。
会うたびに出会える優しい眼差しとユーモア。
今回、少ない時間で何かを掴みたくて、人生相談みたいになってしまった。
朝起きて、また沢山眠ってしまったと後悔してしまう日々。けれど、藤原ヒロシだって6時間寝ている。その言葉に勝手に親近感を覚えつつ、今日も眠りに抗う。
今、僕32歳なんですけどヒロシさんが32歳の頃は何していました?
DJしてたかな。ちょうど裏原がブームになりたての頃だったと思います。
DJをしていた時の街の様子はどんな感じでしたか?
今はクラブには行かないから比較はできないけど、その頃はクラブをハシゴするのが当たり前で色々な所に行ってたかな、一晩で。僕は一つの所にいるよりも色々な所に行くのが好きだったから、ツバキハウスが終わったらその後 ライズバーに行こうとか六本木のクラブに行くとか。下手したら京王プラザで朝食を食べるまで遊ぶ。みんなで動く感じだった。もっとピースだった気がする。色々な大人に連れて行ってもらっていましたよ。多分、何でピースだったのかと思うとカテゴリーが分かれていたからだと思うよ。僕らは歌舞伎町には行かない。ファッションっぽい所だけにしか行かなかったからかもしれないですね。
子供の頃、スケボーを自分で作ったって本当ですか?
自分で作ったよ。実家が自転車屋さんだったんで工具がたくさんあって木の板で作ったりしていました。工作は得意といえば得意かも。自分からはやらないけど好きだったかもね。
中学や高校の時は何をしていましたか?
姉や姉の友達と遊んでましたね。同級生と遊ぶというよりは嫌々、学校に行って。学校が終わったら年上の人と遊ぶ。部活は中学生の頃はバスケットボール部。高校の時は何もしてない。高校生になった時は姉や姉の友達が東京にいたのでちょくちょく遊びに行ってましたね。
高校は通われていたんですね。
一応ね。高校中で一番、出席日数は少なかったけど。担任の先生がいい人で、あと何日出席しないと単位が足りなくなるぞ! とか教えてくれたから卒業はできた。
高校生の時は飲み屋でアルバイトしていましたね。姉の友達がやっているパブ? みたいなところで。ケーキ屋でバイトしたこともあるよ。梅花堂? ってところで。もうないと思うけどね。高校が終わってから3時間くらいアルバイトしてました。
高校卒業後はどこに進学したんですか?
セツ・モードセミナーに進学したんだけど、すぐ行かなくなったんだよね。
そもそも東京に行く為に進学したみたいなもんだったから。
辞めてどうやって生活していたんですか?ご両親からは何も言われなかったんですか?
そうですね。何も言われなかった。諦められてたかも、中学生くらいから(笑)。両親とは仲良しだったけど。最初は学校辞めても仕送りはもらってた。でもずっと親の仕送りで食べてたというより、DJ したりファッションショーの音楽とかやったりしていると、そこそこもらえたりする。バブルの恩恵を直接受けたって感じることはなかったけど、年上の人はみんな奢ってくれたし何とでもなったんだよ。
文章書くのは得意ですか?
文章書くのはそんなに好きじゃないかな。映画のコメントは向いてるかも。短文は向いてる。昔、雑誌で連載していた頃は手書きだった。マガジンハウスの原稿用紙を使って書いてたなあ。今でもあるんじゃない? 高木完ちゃんと対談するときも「最近元気?」とか手書きで書いて渡して。文字起こしが面倒くさいから。対談の場合は筆談してたよ(笑)。
最近の雑誌は読んでいますか?
あんま読まない。インターネットや SNS に欲しい情報はあるし、そっちの方が早かったりするからかな。昔の雑誌はインターネットに近い。情報重視だったしね。それがなくなっちゃったから、あり方は変わったよね。でも今のインターネットもひと昔前の雑誌みたいな感じに思う。なんとなく。例えば有名サイトでも情報を流すだけになっているし、雑誌が飽きられた頃に似ている感じはしますね。多分、若い子はインターネットも見てないんじゃないかな?Instagramとか SNS だけになっている気がしますね。
インディペンデントマガジン等で雑誌を残そうとしていることについてはどう思いますか?
やっぱり雑誌じゃないとできないことがあるから、それは価値があることだと思います。残す意味もあるし。お金の為にやるんじゃなくて、小さくても良いからかっこいいことをやれる環境は大切ですよね。中身は好き嫌いだけど、ちゃんと作るのはかっこいいしなかなかできないことだよね。金銭的、物理的にも大変だしね。
ヒロシさんのメディアに出る出ないの判断基準は何ですか?
出るのは半々くらいかな? 内容にもよるけど企画が被っちゃうんだよね。同じ月にTシャツ特集やってくださいとか。同じネタで出るのもアレだからその場合は断っています。
企業とのコラボはどういった気持ちで臨まれているんですか?
自分からやりたいことってほとんどなくて、誰かとやったり誘われてやる。その都度、達成感みたいなものはあるよ。目標を定めてるわけじゃないけど洋服でも音楽でも作り上げるものが好きだから。出来上がってしまったらそのあとは他人のものになっちゃう感じはあるけど、ちょうど途中が面白い。
会いたい人はいますか?
誰かに会いたいとかは特にない。憧れの人には、どっちかというと会いたくない方かもしれません。機会があったら会っても良いけど、わざわざ会いに行かなくても良いかなって、モノや作品が好きだから。もちろん会って面白い人は沢山いるし、話が面白い人もいる。
ヒロシさんが若い人と同じ目線で気軽に喋ってくれる優しさはどのように身につけたんですか?
身につけたつもりはないんだけど(笑)。僕もそういう人たちの周りにいたからだと思うよ。それが心地よかったから。そっちの方が楽しくないですか? 年下の人と喋るのも楽しい。
好きな写真家はいますか?
小暮徹さんかな? 昔から付き合いはある。小暮さんは自分の作品として撮るっていう感じじゃなくて、表情とかも、俺の作品だからって形ではない。人に合わせて撮ってくれる感じ。「小暮さんっぽい写真」というものは、もしかしたらないかもしれないけどね。
好きな写真はありますか?
空と花の写真は好きですね。写真だけじゃなくて花をモチーフにした何かは割と好きです。
普段、何時間くらい寝てますか?
6時間寝るようにしてる。寝なくて済むんだったら寝ないほうがいいけど体力的に辛いから寝るようにしてる。若い頃は寝たくなかった。やることいっぱいあるよね? 楽しいこととか。
怒られることあります?
怒られることない。怒ることもあんまりない。
アートを買う基準って何ですか?
欲しいから。30歳でバスキアを買ったんだけどその時は、こんな金額使ってもいいのかな? って思ったよ。本格的にオークションで買ったのは初めてだったし、高いアートを買うのも初めて。その時は頑張って買ったなあ。
アートを持つ意識ってどんな想いですか?
自分が良いと思ったものが欲しい。今はギャラリーと仲良くなれないとアートは買えないかも。有名なアーティストなら展覧会が始まる前に全部売れちゃう。この前も五木田くんの展覧会行ったら全部売れてますっていう状況だったし。買う方もギャラリーで買ってオークションに流したら倍以上の値段がつくっていう安心感があるから買えたりするよね。不思議な面白い現象だと思ってます。
KAWS と喋った時に真逆だと思ったんですけど。僕は洋服作ったり音楽作ったりする。作るまでがすごい楽しい。作り終わったら人のものになっちゃうから忘れちゃうんですよ。自分のものじゃなくなるから、こんなの作ったっけなぁ? って感じになることが多いんだけど、KAWS は高く売られようが何しようが、自分が作って世の中にあるものは今でも全部自分のものだと思ってるらしいです。そこは自分と違うなって思いました。KAWS は作品をあげたことも結構覚えている。僕、一個売ろうと思ってた作品があったんだけどバレて……(笑)。売るのやめたことがある。昔もらったKAWS の作品が倉庫からひょっこり出てきて試しにオークションに出そうと思っていた時にたまたまKAWS と喋ってたら、その作品の話になってバッチリ覚えてたもんね。もう10年は持っておこうかなって思って、売るのをやめたんだ。KAWS は売っても良いよって言ってくれてたんだけどね。
DEPTの創業者の永井誠治さんってどんな存在だったんですか?
DEPTと裏原は違うんですよね。世代も違う。DEPTができてきた頃を覚えてる。僕がファッション好きになった頃、古着屋は赤富士って所が有名だったんだよね。DEPTは70年代後半に海外から来たって言う感じ。DEPTには毎日のように遊びに行ってた。あーいう大人が周りにいると、やっぱり僕らも安心するし嬉しい。
どんなタイミングで引っ越ししますか?
上京して初めに住んだのは中野弥生町。その後は代々木→表参道→代官山→中目黒→五本木→岡本→碑文谷→松濤→六本木。昔は更新が2年とか4年であったからその都度で引っ越していた。
代々木に住んでいた頃、おばけが出たって読んだことあるんですけど本当ですか?
おばけじゃなくて夢だけどね。こわい夢を見たってだけ。そもそもあまり夢は見ないんですよ。だから余計に怖かった。おばけもオカルトも僕はもう全く信じない(笑)。話自体は面白いと思ってるよ。
フラグメントの名前の由来は何ですか?
前はエレクトリックコテージって名前だったんだけど会社名を変えるって時に……。
僕、名前つけるの頼まれることが多いんだけど、その場合も辞書を見て。藤原だし「f」から始まる良い言葉ないかなって見て、あ、フラグメント良いかなって思って。由来的には英語の辞書です。
カメラマンとしての仕事、写真家としての仕事。それを近づけたくて抗うことが多いのですがどう思いますか?
雑誌から頼まれたことに対して抗うとかはしなくていいんじゃない? Yes かNoで良いじゃん。自分で撮りたいように撮るのは作品でやれば良いし、仕事としては頼まれてやるんだからあまりエゴは必要ないんじゃないかな? 自分の中での基準をきちんと持ってやる。でも今までカメラマンを見てきて、デジタルで撮るカメラマンって名前はあまり出てきてないね。アナログで撮ってる人たちの方が有名じゃない?
不安に思うことってありました?
僕もずーっと不安だったけど、なんとなくやっていけた。自分がやりたかったり興味があることでお金になれば一番良いよね。僕は初めからそれができた。でも本当になんだろう……上を望まなかったというか、今でもそうだけど自分ができる範囲のことしかできないし欲しいと思わない。これ買いたいから何かやりたいって動機で動いたことは本当になかった。別に良いところに住みたいとかもなかったし、自分の範囲内でできることをやってきた。
藤原ヒロシ
1964年、三重県生まれ。音楽プロデューサー、ファッションクリエイター。英米で触れたクラブ文化を80年代の日本に持ち込むなど、音楽とファッションの両軸で日本のストリートカルチャーを牽引。
現在、デジタルメディア「Ring of Colour」を運営する。京都精華大学ポピュラーカルチャー学部客員教授
Photo:Makoto Nakamori, Masaou Yamaji
Text:Makiko Namie, Makoto Nakamori
Cooperation:Iino Mediapro