内田慈 #俳優
―内田さんはどんな子どもでしたか?
私は、いろいろなことをするのがゆっくりでした。親や学校の先生にいつも遅い遅いって言われていました。今だとダメだと思うんですけど先生に亀って呼ばれたり(笑)。
運動は得意だったんです。足も速かったし、体育の授業で何か技をやってみなさいというときは臆せずできました。でも全体的に物事が遅いっていうのがずっとつきまとってコンプレックスだったんですけど、今はただ遅いだけだったんだっていう感覚です。
―そう思うようになったのはいつ頃からですか?
最近です。遅いのが悪いことではなくて、遅いけど私のペースでちゃんと進んでいけてたんだと気づきました。焦らずに生きてきてよかったな、みたいなことを特に最近感じています。
そもそもがゆっくりだからいくつまでに何かをしなきゃいけないみたいな発想がなかった。こうでなければならないって自分の人生に当てはめて焦っている人も周りに居たけど、私はそう思うことができなかった。
できないことに焦ったことはあります。何でそう思えないんだろうか。思えないってことは、やっぱり真剣に考えてないのかなとか考えてしまうこともありました。
さらに自己肯定感の低さからか、ちょっと変わった選択をしなきゃいけないみたいな感覚はあって…ストレートに行けばいいのに遠回りというか、わざわざ苦しそうな方を自分に課してしまう、選択してしまうという傾向はずっとありました。もはやクセみたいなもので、それは多分今も続いています(笑)。
―演劇に興味を持ちはじめたのはいつからですか?
興味を持つ、ということで言えば、テレビでミュージカルの舞台裏ドキュメンタリーを観たとき、私と年齢が同じくらいの子が一生懸命で素敵だな、かっこいいな、と憧れを抱いていたことだったり、あとはテレビドラマで泣く演技を見たとき、私もできるかな?とお風呂でやってみたり…漠然と興味はあったんだと思います。でも、それらが直接演技の道を選ぶということではなかったように思います。
―松尾スズキさんとの出会いについて伺いたいです。
松尾スズキさんに一方的に出逢ったのは17、18歳のときです。高校三年生の夏休み前くらいにテレビで拝見して、ですね。人生を変える出逢いでした。その頃、私は進路が何も決まっていなかったんです。
とりあえず大学には行くつもりだったんでしょうね。父が塾の講師をしていた影響もあり、勉強はしていましたが、なんか乗り気じゃなかった。
姉が演劇に興味を持ち始めてから『シアターガイド』という雑誌が家にあるようになりました。私も見ている内に小劇場に興味を持ったんです。小劇場の人たちってなんか変な名前の人が多いな~ってところから。「大人計画」は特にそう思っていた上に、同じ頃松尾さんがテレビでいろいろな番組をやっていたんですよ。
バラエティードラマ『恋は余計なお世話 深津ちゃん何言ってるの、しのぶ全然分からないスペシャル』っていうのが、それまで全く触れたことのない世界観で。松尾さん節がバリバリで、すごくおもしろくて。
あと松尾さんが出演された『トップランナー』の中で、奥菜恵さんが主演の初演の『キレイ 神様と待ち合わせした女』の映像を見て惹きつけられました。今まで多分タブーとされてきたことをたくさんやっていて衝撃的でした。
そして最後に好きな言葉は何ですかっていう質問で、「平等って言葉です。だってありえないじゃないですか。」とおっしゃっていて、ものすごく共感したんです。
平等っていうのは、多分絶対にあり得ないと私も思っていたんです。人の気持ちを考えて行動しなさい、思いやりを持ちなさいと言い続けられて、平等とはすごく良いものとして教えられてきたけど、そもそも前提として無理なんだって思っていたんです。その上で、だからこそみんなで考えていかなきゃいけないんだみたいな言い方が、とても真実味があると思ったんですね。
そういう言い方をする大人って私の周りにはいなかったんです。それをテレビで堂々とおっしゃっている松尾さんの言葉がすごく響いて、それがいたずらな、絶望的な発言ではないと理解もできたんです。そういう大人のいる世界があるんだったら行きたい、と思ったのが演劇を始めた初動です。
―内田さんのおもしろいと思う心はどう育まれたと思いますか?
私の場合は、自分と向き合う時間だけは沢山あって…単純に友達があんまりいなかったんですよね。リア充できちゃう人たちに、自分ができないからこそ恥ずかしさと反発心があって、そういうので仲良くなれなかったんだと思います。
何で生まれたんだろうとかを毎日真剣に本気で考えていました(笑)。だけどそういう時間が今の感覚に繋がっていると思います。
―なぜ大学に進学したんですか?
まず、両親には演劇に大反対されて大学には行ってほしいと。母が経済的な理由で大学に行けなかったという過去もあったのと。
父が塾の講師だったので、学歴はなきゃみたいな固い考えもありました。家を出て新聞配達の住み込みをしながら演劇をしてみようかとも考えたんですが、母の考えに納得し、大学に入学することだけでも経験しようと進学しました。
芸大を中心に4校受験して、合格した日本大学芸術学部文芸学科に入学しました。早稲田大学第二文学部も受験しましたが、論文がひどすぎて(笑)。 合格発表は見に行かなかったですね(笑)。 他には多摩美術大学、大阪芸大も受験しました。芸大系の受験はやっぱり反対されてたので、受験費用の一部は姉に借りて。返すのに1〜2年かかりました。
―大学に同じ熱量の人はいましたか?
演劇学科の授業も受けていたんですが、周りの人たちとは温度感が違いましたね。松尾スズキさん、野田秀樹さん、ケラリーノ・サンドロヴィッチさんなど…私には明確に好きな人がいたんですが、誰も私が好きな人を知らなかった。ここにいなくてもいいのかなって思ったのと同時に、両親の大学にいてほしいという理想とは別に、現実的に経済的な理由で4年間は通えないことはもうわかっていたんですよね。日芸では才能ある人はすぐ辞めるっていうジンクスを知っていたので、じゃあ積極的にプロフィールに書こうっと!みたいな(笑)。
父との関係がうまくいってなくて、入学後すぐに家も出ていて。そんなこんなで1年の前期で退学しました。
家を出て安アパートに住み始めたのですが、苦労をしようと決めて行動しました。経験。大変だけどおもしろそうだし、いつか強みになるかもっていうのもありました。先ほどの話でもありましたが、きつそうな選択を無意識にしちゃうところがあったので、自分には何もないから、おもしろい経歴をくっつけないと何か不安だったのかもしれません。
最初は別に演劇がやりたかったわけじゃなくて、何か自分の殻を破りたいということが基本軸だったので、そういう目的もあったかもしれないですね。
―変な人になろうと思ったんですか?
そう思っていた時期がかなりあると思いますね。例えば古田新太さんはいろいろな種類のバイトをしていたそうなんです。想像を超えるくらい。そういうエピソードを聞いていると負けちゃいられないっていうか。でも、一見おとなしそうな人が、実は内面的にはぶっ飛んでて狂ってるみたいなことへのコンプレックスもすごくあったりして。表面的なことをやってしまう自分ってなんて愚かなんだろうっていうコンプレックスもありました。
―演劇界って「変」が正義だと思われますか?
変な人が多いって思われることが多い演劇界ですが、その中にもちろんたくさんいろんな人がいて、なぜ変だと思われることをやっているのかの理由も様々だと思うんですね。私は今までお話ししたような経緯があったり親が厳しかったり貧しかったりしていろいろと自分の中でねじ曲がっている上に放出できないというところがずっとあったので、小劇場の世界、松尾さんに出会ったとき、何だかつまづいてきてしまった自分が解放されて、ちょっと変だったりゆがんだったりしててもいいし、そんなに世の中って綺麗にできてるわけじゃないし、それでいいんだよって救われた。
最初はそれでもヘンテコなことや過激なことほどやりたかったし魅力的だったんですけど、今は全くそう思ってなくて、結果そういう表現になることあるかもしれないけど、大事なのはそこではない。
―大学を辞めてから、演技で食べていこうと決意したのでしょうか。
そんなつもりもないですし、これで食ってこうって決まったタイミングもないんですよ。ただ、やり始めたときはもう本当に迷う隙もなく、この道に手を引かれっていったようでした。さっき言ったようにそれに救われたので、入ることへの迷いは一切なかったです。やっていく中で、辞めたいなと思う瞬間は何度もあったんですけど。でも、やめなかったらずっとやってくんだろうなみたいな、なんか逆説的かもしれないですけど、そういうような自信はあって。プラス、あんまり先のことを考えていなかったので、例えばここまでで売れなかったら…とかそういうのはなくて、ダラダラやっちゃっていた感じもありますね。
やっている中で、全然楽しくない景色も多分あったと思いますよ。けど他にやりたいことも特別なかったし、演技は自分の人生で一番長く続けていること。この道じゃないと思ったら潔く辞めたい。そういう理想を持っていたときもあるんですけど。実際そんなかっこよく辞められもせず、やり続けたら、ある日気づいたら、生きることとある意味イコールになっちゃってて、辞める選択肢がなくなっていたというか。セットになっていた。
―演劇を観る側から演じる側に移行したときの照れっていつ消えましたか?
確かに照れは消えましたね。
最初の頃は、それこそ変なことをやらなきゃいけない、それを求められているんじゃないかと思っていました。セリフは会話だっていうことを理解していなくて、一つ一つのセリフで何か変なことを言おうとしたりやろうとしたりしていました。演劇を始めた19歳の頃はそれで良かったんですよ。その選択する人があんまりいなかったのか、すごく意味があってやっているんじゃないかと思ってもらえたみたいです。
でも、それでは通用しなくなってきて、自分でもどんどん毎回違うことをやらなきゃいけないとなると、その軸がなくなってきて表現をすることが恥ずかしくなってくるんです。その頃に、現代口語演劇という種類の演技法に出会いました。ポツドールの三浦大輔さん、五反田団の前田司郎さん、ハイバイの岩井秀人さん…演技っぽい演技じゃないものを演劇でやっているものに出会った。今そのままの自分の延長で演技をするということだったので、そこで一旦、演じることへの恥ずかしさは取れました。でも、次第に自分のキャパ以上の大きな舞台に出演するときや、伴ってない芝居をすることへの恥ずかしさというのが生まれてきて、第二期・演技恥ずかしい期はあったと思います。それから演技って何だろう、私はこれからも演技がしたいんだ、結構好きなんだみたいに気づいて、27、8歳ぐらいですかね、演技の意味が自分の中で変わったので恥ずかしさはなくなっていきました。
―今、照れは全くないんですか?
ちょっと矛盾するんすけど今でもありますよ。
別にやらなくてもいいじゃないですか?演技なんて。人の前で別の人のふりして。そういう恥ずかしさはありますよね。恥ずかしいって言葉を使ったのは、自己表現というものはちょっと照れくさいものと思っているからです。
―演出家と俳優はどういう関係性ですか?
質問が結構難しいですね。演出家や監督が俳優に求めるものはそれぞれ違うし、逆も然りです。
例えば俳優だとすごく導いてほしい人もいるし、とにかくいろいろ出すのでジャッジしてくださいみたいな人もいるし、とにかく一緒に腰を据えてやろうという人もいるし、お互いが何を求めるかでも違ってくると思うんですけど。
―相性はありますか?
あると思いますね。私はとにかくゆっくりなので、いきなり正解が出せない。
やってみたり話し合ったりする中で、作品の、もしくは人物の軸をゆっくりと見つけていきたいから、コミュニケーションをよりよく取れる方が楽ですね。
どっちかが強いという関係性よりは、意見を交換ができる方が相性が良い方だと思います。
―演出家が強い現場もある?
演出家や監督の存在自体が傾向として、ミクロ視点かマクロ視点かというのもあります。例えば細部は気にされない、お任せしますっていう総合監督の視点で演出される方。演技演出も含め細かいところから演出されながら導かれる方もいるんです。それによってまた味が細部に出てくるので、どちらが良いっていうことじゃなくて、視点の違いってのは大きくあるかと思う。
―自ら演出してみたいと思われますか?
私はゆっくりなので、これからあるかもしれないです。芝居をなぜやってるかっていうのも、言語化できるようになったのは結構最近なんです。私の場合は演じるときにその役に対して「知りたい他者」として捉えている。どんな役を演じたいですかとか言われても、明確に浮かばないのって、多分そこなんですよね。どういう役を演じたいか、どういう人を知りたいかじゃなくて、知らない誰かのことを知りたいっていうことなんですよ。
演じるっていう意味でその役に対して、他者と捉えて知りたいってこともそうだし、演劇のカンパニーの中で知らない人と関わっていく中で他者を知ることにもなる。それをお客さんに観てもらって、お客さんが何を感じるか、それを聞いて他者を知ることになる。
私は、これをしたくて芝居をしているんだなと思うんです。
今やっとそれを言語化できるようになって自覚してきたので、この先もしかして演技じゃなくて演出だったりとか、別の新たな可能性が出てきたら、新たに自分がそれを考えるきっかけをもらえる可能性があると感じれば、やりたいと思うかもしれないのですが、今は多分、このやり方がやっとピントが合ってきたという感じ。
―今回撮影をお願いしている、この下北沢という空間にどんな想いがありますか?
下北沢はおもしろいと聞いていたこともあって、憧れがあって、それこそ演劇だけじゃなくて、サブカルの街として。
私が19のときとか、もう本当に憧れがあって。いろいろな演劇も、最初は見たいとところを絞って観るんじゃなくて、朝日新聞の「木曜日のマリオン」っていう演劇のチケットが当たるページがあったんです。
映画のチケットより全然当たりやすかったんですよ。応募すれば大体当たる感覚でした。演劇の観劇人口が少ないことを表しているとは思うんですけど。そうやってチケットを確保してたら、下北沢でやっている劇団が多かった。それでよく行くようになりました。
「ザ・スズナリ」もだいぶ通いましたね。
通う中でいろんな逸話を聞きました。柄本明さん主催の「東京乾電池」がここに300人入れたことがあった、とか。真偽はわかりませんが(笑)。普通は大体150ぐらいなんですよ。
演劇を観たい人が多かった時代。キャパが150なのに300集まって、またそれをお客さんがぎゅうぎゅうになってでも観たいという熱量があった時代。話を聞く度にかっこいい、なんて時代だったんだろうって夢を馳せますね。
―舞台や映画とテレビとの違いは、どういうところにあると思いますか?
お客さんにとっては違うかもしれないんですけど、演技する側としての視点で言うと<演劇・映画>と<テレビドラマ>は、似ているけど似ていない関係だなと思っています。
演劇と映画は、どういう傾向のものか、例えば商業色が強い、バジェットが大きい小さいなどによっても全然違うんですが、割と言葉にならないことを言葉にならないまま、わかんないものはわかんないまま、表現していい場所。演者としては奥行きがあるのでやりやすいんですけど、多分お客さんから見たら難解な場合が多い。
テレビドラマは何らか答えを具体的に出していく分野だと思っています。私は俳優として、ピンポイントで表現していくテレビドラマの方が難しいなと思ったりするところもあります。お客さんにとっては、もしかしたら見やすいのかもしれません。
時間の流れ方も違いますかね。テレビドラマはとにかく時間がないので、頭をずっとフル回転させて、アウトプットし続ける。
特に演劇の場合は、とにかく立ち止まって考える時間が多いので、稽古でいろいろ出しながら時間をかけて何か自分の中に蓄積させていくので、インプットする時間なのかもしれない。
ドラマでも、テレビか配信かではつくり方が違うなと感じています。
―観劇しているときに周りが笑う、でも僕は笑えないということがあります。
舞台側からでも感じて、戸惑うことはありますよ。
例えば苦しいシーンで笑いが起きる。例えば女のぐちゃぐちゃした感情を表現したとき、見終わって、ある男性のお客さんが「ああいう面倒くさい女っているよな~まじウケる」って言っている。ここで笑うってどういう目線なんだろうとか、そんなライトに見られたんだとか、そういう悲しさというのはあるんですけど。
ただ舞台においては、もう多様性っていうか、同じものを見て泣く人もいるし笑う人もいる、またそれにショックを受ける人がいるっていうことも、丸ごと演劇なのかなとは思う。
―内田さんのキャリアで、オーディションに受かりまくってた時期があったと。それはなぜだと思いますか?
それには圧倒的に自信があります。そもそも私は演劇オタクだったので劇団公演を観て、その劇団が好きでオーディションを受けていました。
何故このオーディションを受けて公演に出たいのかを言葉にするストックがありました。
それが熱くるしかったのか落ちたオーディションも多々ありますが。
更に時代の流れのたまたまもあって、その頃って演劇やるってなったら劇団に入る選択をする人が割と多かったんですよね。劇団ほどではないけど枠組みがあるのがユニットで、その選択肢も今は少しづつ増えてきてたけど、フリーで活動しながらいろんな劇団に出るっていう選択肢ってあんまりなかったんですよ。
私はずっとフリーだったので、スケジュールが縛られてないし、自分のやりよう次第であったので。単純に使いやすいっていうのと、そこがおもしろいって言われたこともありました。でも、とにかく「知ろうとする愛は裏切らない」って思います。
―演技を見てキャスティングされる。その感覚ってすごいですよね。
そうですよね。芝居は相手に向かってやるものなので、自分のキャリアのために芝居していたら変な芝居になっているはずですよね。
私は見られている側の人間なので、どこを見られているのか、どうしたらキャスティングされるのかはわかりません。
ただ本当に、橋口亮輔監督の作品に出るきっかけになったのは芝居を観てもらったからなんです。それは、とても嬉しかったです。
―監督から二度三度呼ばれることは嬉しいですか?
めちゃくちゃ嬉しいですよ。また別の一面を見てみたいと思ってくれたってこともあるでしょうし、チームで一緒にやる人として信頼を得たっていうことでもあるでしょうし、どちらもすごく嬉しい。
―内田さんは光っている子ってわかりますか?
たまにあるんですよ。発光しているみたいな子。
やっぱりばれちゃうんだなっていう感じはして、普段考えていることとか、内面から輝くとか…本当?みたいに思いますけどやっぱり隠しきれない何かはあると思います。
―そういう人は一緒に演じているときに、感じることもありますか?
芝居はすごく近いから、日々進化していく子っていうのは特にやっぱりわかります。この子の成長率すごいなとかっていうのは感じることもあります。
―自分の作品は見返しますか?見返すときはどんな目的で見ていますか?
完パケもらったらすぐ観ますが、あくまで仕事用。その後あとで観る楽しさってのがあります。
やっぱりあとの方が観客として楽しめるんです。どう取り組んだかとか、こうすれば良かったなとか、細部までは忘れてるから余計なことがよぎらないんですね。
単純に作品として観たいという意味で、時間が経ってから観る楽しみはあります。
―演技をするときは、人生経験から少しずつ引っ張って作っていくような感覚でしょうか?
ベタな言い方になりますけど、殺人してないと殺人者の役ができないのか?って、そんなことはないですね。
ただ、何か弱いところがない人間っていうのは、やっぱりいないかなと私は思っていて。
なったことのない人、友達として出会ったらすごい嫌いになりそうな人とかを演じなきゃいけない場合もあると思うんですけど。私は、わかんない人間だからわかんないまま演じるってことはなるべくしたくなくて。何か自分の中で共鳴するところをみつけて、演じたい。それが私の責任だと思っていて、その共通している共鳴してるところをみつけてみると、弱いところだったりする。自分の弱さとその役の弱さで、重なるところをみつける作業をしますね。
―俳優はオファーがなくなったら、どうしていくと思いますか?自分で機会をつくってやってやるぞ!と思いますか?
過去に一人芝居をやったことは何度かあって、自分で脚本を書いたこともあって、楽しいと感じたときもあるんですけど、苦しさの方が勝っていました。
自分で脚本、演出、演技、の全部をやりたいわけじゃないっていうことがわかったんです。演出家と俳優って別の生き物な気がしていて、もちろんいろいろ共感できることはあるんですけど、でも多分発想の方向がそもそも違う。脚本家、演出家、監督がいてくれないと私達の仕事は成立しないんだなと思います。
お客さんも然りですよね。見たいと思って来る人がいなければ成立しない。
私は演劇や舞台表現のことを芸術だと思ってるんですけど、ただ他の芸術分野と圧倒的に違うのが、やっぱりエンタメ性を持っていないと成立しないということだと思うんですよ。お客さんに見てもらうのが前提で、独りよがりになりすぎるとお客さんは多分ある程度離れてしまうので、だから、芸術なんですけど開いてなきゃいけないっていうすごい変な文化。
俳優一人じゃ何もできない。本当に変な分野だと思います。
―いとうせいこうさんの楽曲に参加されていましたよね、今後は如何ですか?
ロロロ(クチロロ)ですね。私、歌うのは好きです。Eテレの「みいつけた!」では声優で携わっているんですが、そこで歌うこともあるので楽しいです。歌うの好きだよって言っていきたいなと思っています。
―最後に、演技のどこが一番おもしろいと思いますか?
考えないで、頭で全く考えないで、なんか体が動き出すときがあるんです。いろんな準備をしてのことなんですけど、それこそ共鳴するところを見つけたりとか、単純にセリフを覚えるとか、いろいろ馴染むまでやるとか、それに向かって考えてきた時間とかたくさんあるんですけど、そういうことが全部合わさったとき、勝手に何か出てくるみたいなときがあって。実人生で生きてるなって実感する瞬間ってそんなにないですけど、そういうときになんか今生きているって思ったりするときがあって、それが楽しいです。
内田慈
1983年 神奈川県生まれ
日本大学芸術学部文芸学科中退後、演劇活動を開始。
オーディションにより新進気鋭の作家・演出家の作品にいち早く出演しキャリアを積む。
舞台では、前川知大、前田司郎、岩井秀人、三浦大輔、ペヤンヌマキ、神里雄大ほか同世代とのクリエーションをはじめ、二兎社、こまつ座など老舗の劇団への出演、近年では月刊「根本宗子」など次世代を担うクリエイターの作品へも出演している。
映画では、08年に橋口亮輔監督「ぐるりのこと。」でスクリーンデビュー後、多数の映画に出演。
その後、舞台・映画・ドラマ・声優、ナレーター、ジャンルを問わず活躍の場を広げている。