五味太郎 #絵本作家
ー今日はありがとうございます。
成り行きで(笑)。こういう仕事しているといろんな人に出会えるので楽しいですよ。俺は絵本を描いてるわけでさ、絵本はエンタメじゃん、はっきり言って。絵本を描き始めるときに教育関係みたいなやつが結構出てきて、なんじゃこれめんどくせえなと思ったんです。子どものため? いや知らないよ! みたいな(笑)。逆に興味を持つよね。今、ぼんやりと隠遁生活をしてるけど、時々マスコミの人間が変な質問してくるんです。その質問なんだよっていうの。幸せになるためにどうすればいいんですかみたいな、ちょっと考えたことない。ただ暇つぶしには良いよね。
ー僕、過去にコマーシャルの現場でお会いしたことがあるんです。
コマーシャルはよっぽどお願いされないとやらないね。やってるうちに世間が見えてくる。昔、パナソニックの「パナ坊」をやってたんだけど終わってさ、もう活躍する場所はないな~って思ってたら、クレハからまた「キチントさん」の話が来ていまだに使ってくれてるね。企業って、どんどん担当が変わってっちゃうんだけど、その申し送りがクレハは上手にいってるよね。通じてるって感じかな。俺は20代の終わりから30代の頭ぐらいに絵本っていうメディアに出会って、それからとても気に入ってんだよね、絵本という形が。呼吸が好きなの。ちょっと距離があって、読み手がいてくれて。放っておくと外国に行ったりして。他のことをいろいろやってもいいんだけど、それよりやっぱり絵本で無我夢中じゃないんだけどわからずにやったら結構おもしろいねって。それをいまだにやってる感じね。自分の呼吸に合うメディアに出会うのはハッピーだなと思う。メディアの選択っていうのは結構人生だろうなって気がするんだよな。
ー五味さんの事務所が近所だったのでビックリしました。
今のところに越してくる前は代々木上原にいたんだよね。でかい家でさ。冬は寒くて夏暑いっていう(笑)。ちょっとおもしろかったんだけどね。やっぱり絵本っていうのは結構小さなテーブルで、ゆっくりニヤニヤしながら考えるのが向いてるんだよね。初め狭いかなと思ったんだけど、意外とその辺の呼吸がいいかなと思って。のんびりやってるよ。
縁があって、40年ぐらい前から八ヶ岳の野辺山にもアトリエをもっているんだよね。やっぱり絵を描くってデスクワークなのよ。本当、足腰は弱くなるし、精神は入ったり出たりじゃない。出たりするような作業もしといた方がってときにね、絵とは違う、小さな木工をやってみたりベタベタ色塗ったり大きな絵を描くときは八ヶ岳のアトリエに行くんだよね。そうすると時々、「お!」ってことが起きるから、年に4、5回は行くかな。まとまりすぎちゃうんだよね、ここでやると。バラつかせるみたいな。気分も変わるしおもしろいから行くんだよね。
ーお父さんは英語の先生だったんですよね。
シェイクスピアや英語の研究をしていたんだよね。男はそうなのかな、親父とは確執とかは全くなかったんだけど、親父から離れようという感じの方かもね。親父も別に俺の跡継げみたいなタイプじゃないから。親父がやっていないことの方がおもしろいと思ってね。
ー生まれは調布ですよね。
そうです。学校は桐朋です。遊んでたんだけどね、ずっと。中学生ぐらいには競馬もやっていたな。ない金を増やすにはどうしたらいいかみたいなことを一生懸命に考える。友達と一緒にやってて共倒れが一番危ないから同じ馬券は買わないとか研究して(笑)。楽しかった思い出ですね。原資になってるのは学費だよな。だから元を取るっていう、せこい競馬だったよ。こういうインタビューを受ける機会がたまにあるんだけど、質問を受けて考えるじゃない。するとわかったんだけど、俺はベースが幸せなんだろうね。気分が落ちるの嫌なんだよ。やばいと思うぐらいに下にいくことがあるから、そうならないように最低限気分をキープするために頑張っとけってしてる気がする。ここにいたら落ちちゃうぞと思ったら違うところに逃げ出す。努力と言えば努力なんだけど……幸せになろうと思ったことはないけど、不幸せになりたくねえなっていう感じがあったみたいな気がする。
それが今も続いてるから新しい仕事の判断基準は早いよ、俺は。迷わないもんね。世の中って気分を落とすやつ多いです。こんなに楽しいのにやめろとか駄目だとかさ。俺の気分を大事にしてほしいと思うよね。そこで小さい頃から自分の気分をいい感じに保つためにどうしたらいいのかなっていう努力はしたよな。若いやつはそういう努力もしてねえな。この前インタビュアーに「なんで新聞社に勤めたんだ?」って聞いたら「就職したかったので。」「おもしろいの?」って聞いたら「かなりしんどいですよ。」って。「じゃあ変えれば?」みたいな(笑)。余計なお世話だけどね。今の子は幸せになろうと思っちゃってるんだなって。つまり基本があんまり幸せじゃないという状態。俺はバカなのかもしれないけど、生きてると楽しいねっていうのは基本的にあったから、これを落とさないでくれって。父ちゃんと母ちゃんはそこには無関心だから好きにやらせてくれた。家では気分が落ちないわけだけど、社会や学校行くと本当にみんな俺の気分を壊す(笑)。要するに付き合いがあるじゃないですか、やっぱり。なんかつまんねえな、だったらつまんなくないように行動しよう。絵本を描くのはおもしろい。原稿を出版社の人に渡すじゃない? テーブルに何もなくなる。書き終わっちゃうとやったねっていうのはいいんだけど、つまらなくなる。で、また描き始めちゃう。描いている最中が楽しい。きりがないんだけどね。
ー学生時代にいろいろな遊びをしていたそうですが、絵を描くことが最優先だったんですか?
いや、そうじゃなかった。中学、高校はエスカレーター式だったし適当に入ったからいろいろトラブったけども、なんとか生活していたんだよね。たまたま高校の先輩に誘われて最初の海外旅行でフィリピン行ったのよ。準備するのに1ヶ月ぐらい、注射いっぱい打って。高校2年の夏休みに行ったんだけど結構アバウトな先輩だったから帰ってくるのが遅くて9月半ばぐらいまでいちゃたんだよね。実は9月って大事で大学受験のクラス分けする時期だったんだよ。知らなかった(笑)。まあ大学なんてどこか入れるだろうって甘く考えてた。ある時、学務課行って大学の資料見てたら東京芸大の倍率が29倍ってのを見かけたんだよ。それで、これいいねと。担任にどうやって受験するのか聞いたらデッサンしろって教わったんだよ。デッサンかよって思ったんだけど(笑)。そこから勉強して、受験。で、試験中に、ふっと、これ誰に見せるつもりで描いてんだろうと思った。え? って。描けと言われたから描いていたんだよね。見回ってる人に見せるわけでもない。誰が審査するんだろうっていうのを考えてたら試験を受けてるっていう構想が崩れちゃってさあ。俺、見せる気ないもんっていう感じじゃない。デッサンっておもしろいはおもしろいんだけど、これを誰かに見せて、良い悪い、そういうことじゃないよねっていう瞬間がきちゃって、もう荷物まとめて帰ろうみたいになってるわけ。それで帰っちゃった。誰かに評価してもらうために絵を描くことはやめようって決めたんだよね。
ーそれ試験中に気づいたんですか?
そうだよ。本当に描いてるとき。先に気が付けよっていう感じだけどね(笑)。人生って時々あるよね、フェーズが変わる瞬間。じゃあどうするかって何もないんだけど、とりあえずここじゃない、そう思ったんだよね。それから苦労の人生始まっちゃった。逆に言えば絵ってものを棚上げして、デザインやったり広告やり始めたり。桑沢にも行ったり。稼ぐためにもいろいろやったよ。マネキン作ってる会社に勤めたこともある。たまたま通りかかって、何やってるんだろうって覗いたらマネキンを製作していたんだよね。俺、足フェチだから笑)。これいいなって思って。「社長いますか、ここで働きたいです。」ってい言ったら「明日から来い」、そんな感じ。あっという間にやめたけどね(笑)。年寄りが理屈をすげえ言うからさ、ここ違うなみたいな。次に看板屋さんで絵を描いたり。でもやっぱりちょっと違う。真鍋博さんに出会って働いたけど、絵の助手も違う。そんなことをずっとやってたときに、桑沢を卒業した縁で広告やりませんか? って声をかけられて、20代過ごしてたね。そんな中、迷いでもないんだけど夜に絵は描いていたんだよね。今考えたら絵本になる「もと」。藝大の試験とは全く関係なく、絵を描くっていうことがちょっとおもしろいなと思って。じゃあどうするのかなと思ったら、いい友達いたんだよね。「こういうのは出版社に売り込むじゃない?」とか言って、出版社のリストを作ってくれて。あいうえお順に電話をかけたら「い」の岩崎書房が見てくれることになった。それがスタートだったよね。素敵な編集者に出会ったんだなとあとになってわかった。編集者は絵本作家にとって絶対必要なんだよね。要するに俺たちは描くだけなんだけど、そっから本にして流通にのせる。今、編集者との出会いで悩んでる若手の絵本作家はいっぱいいるけども、俺は素敵な編集者に3、4人に出会ってるね。彼ら彼女らに共通して言えることは、若手が来ても、きちんと敬語で喋って、きちんと会ってくれる。文化出版局、岩崎書店、福音館書店、今も付き合いがあるのは、そういうホンモノの編集者に出会えたからだなって、改めて思うよね。それは人生のラッキーということかもしれない。
ー絵本作家と編集者の関係性とは?
俺たちって中森さんも一緒にくくっちゃうけども、どうなんだかわかんないってことを売りにしてる仕事なんだよね。つまりパン屋さんはどうなるかわかんないじゃちょっと困る。やっぱりクロワッサン、食パンが正確に焼けるっていうことを目的にやるタイプの仕事だと思うの。路線バスの運転手さんも、今日はここで曲がってみようかななんて許されない。世界はほぼそれで動いてるんだけど、哲学やアートはちょうど真逆。わかんないからやってるんじゃないかっていう感じがする。カント、ヘーゲル、ショーペンハウアーはこうだから、はい次に行こうっていうんだったら哲学はやめていいと思う。やっぱりわかんないからやってんだよねっていうのが魅力だし、そういうものってそう多くはない。逆に言えば、だから価値があるって言ってくれるんじゃない。
わかんないものを自分なりにもしかしたらこうかもねっていうような形が作品に落ちてるから、これは人に相談しようがないじゃないと思うの。もし今、絵本がどういうものなのかって結論が出てるんだったら、これは絵本のフェーズです、あるいは商品としていけるかいけないかの判断をするプロダクトデザイン的な位置の編集者ってのは必要なのかもしれない。でも実際、必要がないんだよね。俺の持ってる謎、不思議、ちょっとモヤモヤした世界を一応まとめてみました、なのでそのまとめ方の判断を二次的にしてくださいってお願いする人は必要な気がする。工程、製法、印刷の話は俺たちの専門じゃないから、よろしくお願いしますって感じの。謎に1回トライしてるこの微妙なニュアンスを共有してる人々。だからこの世界を受け止めてくれる人ってのはありがたいよね。そうじゃないと宙に浮いちゃう的なところがある。
多分今、アートや哲学が実用に近いところに収まっちゃってんじゃないかと思うんだよね。だからそういう意味で言えば、今の若い連中は初めからアートをやってるよね。アートをやろうとしてアートしている。作業があって結果それがアートなんだよねって形じゃなく、まずアートから始める。アメリカが極端にそうだから、アーティストと定義づけて、これはアートだろうってごり押しする。それが通る。必然を探る元気がなくなっちゃったみたいな気がする。業界の中の一つに、美術業ってのがもう完成してるみたい。今、絵本は子どものための情操教育っていう風に位置づいているようなところがあるよね。子ども服みたいな感じ。日常品の必需品みたいな感じ。で、必需品になりたいと思ってる感じがある。俺の個人的な意見だけど、それは怠けているのと同じことだと思う。売れる絵を描いたり、絵が描けない子に絵を描かせるようなメソッドはたくさんある。絵が描けないっていう設定しちゃうんだけど、絵が描けない子じゃなくて描かない子なんだけどね。
ー五味さんの謎は人にわかってほしいですか?
謙虚にわざわざ言う必要はないんだけど、みんなわかってんだろうねっていうのはあるよ。何割か。わかってる奴もいるだろうし、わかってないのもいるかなっていう楽しみがあるよね。意外と子どもがわかってたり。それはそれでムカつくんだけど(笑)。謎っていうんじゃなくて、こういう遊び方ってあるよね、こういう楽しみってあるよねっていうようなことを提示する。昔『みんなうんち」って描いたんだけど、これは単純にうんちっておもしろいよね? ってそれだけ。それをただ1冊の本に収め込むにはどうしたらいいかなっていうと、ちょっとドラマを入れよう、嘘もでっちあげもいるよねっていうような作り方。うんちがおもしろいねっていうのは個人的な趣味かなと思ったら結構同じように感じる人っていたんだなーって驚いたよね。
ー視点や見方を考えているんですね。
プロのカメラマンと一緒に旅行なんか行くと同じ場所でも違うものを撮ってるわけじゃない。それはおもしろいなと思うわけ。視点だよね。俺はオファーをもらって誰かの肖像を撮影するのは不得意だと思うんだよね。だって興味ないんだもん。描いてみて、俺こういうことに興味あったんだってのわかる方が多いよ。どっかで引っかかりがあって描き始めるんだけど俺、結局こういうことなんだよねって描いてからわかるってのはすごくおもしろい。絵的に展開するようなおもしろそうなことに気がつくと、すぐに描き始めちゃう。まず描いてみる。やっていくうちに自分がわかってくる。でも最悪の場合はこれ前と同じじゃんみたいな(笑)。誰も見てないからすぐやめるしかない。なかったことにする。
ー五味さんの思う駄目な絵本とは?
今、他の人が描いた絵本はあんまり見てないね。なんかあんまりおもしろくないなっていう感じがある。けどやっぱりこの人は絵本だなって思う人はいる。判断基準があるんだよ。これ絵本だな、絵本じゃないなって。これは他のことにも言えると思うんだけど、絵本って絵本じゃなきゃ描けないことがあるんだよね。これだったらお話でいいじゃん、むしろ活字だけの方がいいかもみたいなのが多い。絵本じゃなきゃ絶対描けないよねっていうものをだらしなく探してる感じがある。それをクリアしてるかどうかを見ちゃうよね。本というものが持っている魅力。紙の魅力。数で組む魅力っていうのがあるし、それから詩の魅力。全部削ぎ落として、もうこれ以上やるとなくなっちゃうかなぐらいの文字数でいく。俺が俳句を好きな理由は、そこなんだよね。そういうものって力がある気がする。だからアニメーションにしたときに元の方がいいよねっていうぐらいな絵本がいい。動きはちょっと余計なんだよねっていう感じかな。俺はその基準が個人的にわがままにはある。これは絵本じゃなきゃ無理よね、やっぱ傑作だよねっていうのは長新太だったり井上洋介。長新太は絵本じゃなきゃ、あの世界は絶対描けない。他の方法じゃ無理だよってものがあるのが素敵な絵本だなって思う。今の小説、ちょっと批判的に言うと、これテレビドラマや映画になってもいいよねっていうのをみんな狙ってるよね。それは駄目よね。それじゃシナリオだもん。映像にしなきゃっていうドラマの展開と、活字だからいいんだよねっていう違いは少なからずある。ちょっと贅沢だよ、俺(笑)。どっちでもいいじゃんっていうような話はどっちもよくないんだよね。写真もそうで、これ写真じゃなきゃ絶対無理よねっていうのはよく写真集見てるけども、実際あるんだよね。
ー日本語っていう言葉に関してどう思われていますか?
高校の頃かな。受験するかしないかの時期に文章を書くということに本気で向き合った。言葉や文章だけで生きてくのは切ないなって感じてたんだよね。使えるとは思うんだけど、これを素材にして俺は自分を組み立てられないと思ったわけ。つまり「AはB」である。何て言ったらいいんだろう、イコールみたいな段階で展開していく、あるいは「AはB」ではないっていうような言い方。言葉って探る素材としては気楽に使えるんだけど、本質的に一種の内面的なものを表に出すにはこれちょっと頼れないなっていう感じがすごくあった。雑な言い方すると、書かれたことと、その作家の作業がどうも乖離しているなって印象が強いわけ。例えば石川啄木はものすごい魅力的なわけ。言葉で表れている。でも、それ本気かよ? って。わかるんだけどね、それを自分に問い続けたらしんどいじゃない。それで絵に逃げた。逃げじゃないけど、絵は「A=?」の世界なんだよね。見た人の問題。俺はここまで描いたんだ、あとよろしくお願いしますっていう、あの呼吸がなんかいい。中間作業として提示していくっていうのは気楽でいいよ。俺が猫を描いても犬だって言う人はいるしね(笑)。
ある人が五味太郎は白がすごいっていうわけよ。俺は塗るのが面倒だから白くしているんだけど(笑)。白は地面でもある空でもあるし部屋中でもあり、要するに見た人が漠然と捉える空間。でも理屈で言うと塗れないのかもしれない、空間だから。空間に意味づけなんかする必要ないよねって、今もっと大事なことが動いてるんだから。結果、周りの余白ができる。それを説明的に道路、土、空って塗る必要ないよねって俺は無意識に思ってるかもしれない。途中で出た現象みたいなことっていっぱいある。ページをめくるって行為。それは読み手の仕事だから、俺は書き手の仕事まではやる。棲み分けがスムーズにできるんだけど、文章ってのはそうはいかない。つまり文章書きじゃないんだろうな。
ー絵本と日本語の相性は良いですか?
俺は日本語だけしか使えないけども、翻訳をあちこちでしてくれるとき日本語は難しすぎるみたいね。省略が難しすぎる。特に五味太郎は難しいって。フランス人の編集者にもしょっちゅう言われるよ。太郎の使う日本語は俳句みたいだって。フランスってのは文化的に喋ってなんぼの世界。直訳すると、ぶっきらぼうに聞こえるらしい。だからこちらの言葉で書かせてって言われた時は信用して任せたね。それはもう風土で違うからね。日本語はいいよ。例えば「日本語はいいよ」って言葉に「I Think~」は必要ない。外国語は短い文章がみんな命令口調みたいに聞こえちゃう。でも日本語は「僕」「私」があるから、女の子男の子で言い分けるのが面倒くさいね。
ー五味さん自身は、自分の作品がアートとして売られるっていうのはどういうどういう気持ちなんですか?
ちょっと照れてる。絵本の一部だよねって見てほしいところがあるんだけど、すごくいいプリントができたからね。工業デザインをやっていたんでモノの値段を叩き込まれたのね。例えば、この前中森くんが買ってくれたプリントの10万円、僕は高いと思っているのね。翻って絵本は大量生産じゃないですか、ある意味で。1000円、2000円前後のこの値づけっていいなって思ってるわけ。モノに対して、作業に対して、それから工業、工程に対して最終的に値段がどう出てくるかってことを結構計算させられたのよ。灰皿1個作るのにこれいくらなんだっていうことは大事なところなんだよね。この紙で魅力的なものがいくらだったらいいのかなっていうのは、いつも大雑把に考えている。出版という形がちょっと正義でいいなと思ってるわけ。絵本は世の中に出てほっとけるって感じ。わけわかんないってのがいいね。わけがわかったらやめちゃう。わけわかんないってやっぱりすごい魅力だよね。
ーよく相談されることがあるそうですね。
五味さんはモノがわかってる人だって思われてる(笑)。世間が抱えてる問題を一度、五味さんに問うてみるっていう構造は新聞社にあるみたい。9月になると学校行きたくない子どもがいっぱいいるんですけど、どう思われますか? って、ちょっと待ってくれ、根本から話してくれと。夏休み楽しかったから、9月に学校行くのが嫌だと。俺は行かなきゃいいじゃんって思うわけ。やっぱり行かなきゃいけない学校制度って何よって話の方向が逆になり、編集者なり記者もはっと気がつくみたい。おかしいんだよね、世の中。
ー『大人問題』でもそういった相談に答えていらっしゃいますね。
あれも、書こうと思って書いたわけじゃないのよ。何かの機会にそういったことを喋ったら1回まとめましょうって言われてね。そういうのがブームになっちゃって今も文庫本でずっと動いてるらしい。けど最近、興味はなくなってきてる。俺の意見だからさ、拳銃を突きつけられてやっているわけじゃないし。あくまでもご自分の考え。世の中に広めたいとか論陣を張りたいとは思ってない。無責任でありたいと思ってる。
ー五味さんらしさとは何だと思いますか?
自己分析してくださいって初めて言われたけど、こんなもんですよっていう感じなんだよね。あえて言えば、昔はもうちょっと単純に、年かさ行けばわかってくるだろうって予想してたんだよ。君もそうでしょ、今は未熟だけどだんだんとわかってくると思ってるでしょ? それは嘘だよ。わかんないよ、絶対(笑)。それは自信持って言える。歳を重ねてもわからない。絵本を描く最初の動機は俺って何に興味があるのよって。何がおもしろいのよ、何を考えてんだよっていう抽象的な世界を物理的に落としてみようって作業なんだと思う。だからいまだにやってるんだと思う。もうわかりました人生ってなったらやめるよね。興味なんだよね。俺が描いた絵本で『じぶんがみえない!』ってのがあるんだけど、大雑把に言っちゃうと、ずっと子どもの頃から気にしてたの、自分が見えないってことに。鏡でちょっと映してわかったつもりでいるけど、本当は自分で自分は見えてないわけ。でもこれが実は救いである。今でも覚えてる、畑で自分の手を見続けた記憶。赤ちゃんもそうだよね。自分の手に気がつく瞬間がある。大脳新皮質ってのが発達しちゃったこの動物(人間)の、悩みになってるんだと思う。哲学者も結局、気にしている。自分が見えてない、自分は何だ、自分の存在ってなんだっていうことを考えざるを得ない。それをテーマに絵本を描いてみたんだよね。何の結論も出なかったけど。自分って何だろうねっていうのはなんか一生楽しいね、こりゃ。そのためのオブジェクトとしていろんなことやるってことは気がついていて、喋ってみたり考えてみたり時々講演会やってみたり。字を書いたり絵を描いたり。結局、俺はなんなのよってのをずっと持ってるよね。だからそれがないならやめてもいいよねっていう感じがある。しんどいって楽しいことだからさ。僕の母ちゃんは100歳を超えてまだ生きているんだけど、ちゃんと成長してボケてるわけ。ボケも成長のうちだからさ。私どうするのかしらとか言うわけ、知らねえよと(笑)。「わかんないねこれは」って言って遊んでる感じ。わかった瞬間は死だよね。わかんないから、今日もやってる。それは、どんどん強くなるよね。歳とって悟りましたってのも全く嘘だと思う。母ちゃんがどういう精神世界にいるのかとても興味深いし、俺自身もどうなのかわからない。この宇宙にいる、この存在って何かしらねっていう感じが基本だよね。それを無視して作業する。それがどうも70過ぎでとても強くなってる感じがあるよね、だからとりあえず思いついたことをやってみましょうという感じしかない。
『大人問題』を書いたときみたいな、ああいう社会的な問題を自分のオブジェクトにするのは、もう興味ない。そういう構造じゃない。社会的な構造を見誤ってたよねって気がする。多分、社会って構造があるんじゃなくて個人の選択した結果としての社会。それは俺の与するところじゃない。もっと個人的に見ていくべきなんだろうなって。もっと個人っていう感じを今までも結構強かったけど、もっともっと強く個人っていうのを意識せざるを得ない。どこまで行くのかなっていう感じは今すごく強いよね。
ー絵本を最初出したときにすぐに世の中に受け入れられたことについてはどう思いますか? 不安はなかったですか?
不安になるってことは多分世の中にウケるってことを考えちゃってるからだと思うんだよね。俺は結果で言ってるからあんまりフェアじゃないけど、何かの作業の熱っていうのはどうしても伝わるもんだなって思ってる。ずれることももちろんあるんだろうけど、人様の作業を見ていてもそう思うの。その人のやったね!感みたいなのがあるのね。それは俺が個人的に感じるのかもしれないけど、最初ポール・セザンヌの絵はピンときてなかったんだけど、あるときにりんごの絵を見てセザンヌのやったね!感がわかったの。彼がとても満足してる感じが絵にあったの。ゴッホにもある。俺は、そこを見てみたい気がする。どうしても無視できない。作者がやったね! って思ったのが大事だと思うんだよね。お芝居見てても思う。映画は難しいんだけど、終わったとき映画監督の表情とかに現れるよね。メディアって1個距離を置くから、その人の具体的な体温や息づかいが聞こえないんだけど、やっぱりこれ嘘だよって聞こえるよね。子どもはそれにすごく敏感だから五味太郎を見たときにやる気を出すんだよね。読んでやろうかなって。テクニックじゃなくて、作業の熱、その熱があれば巻き込める。しょうがないからひたすら描くしかないんだよね。
俺は森山大道さんとその話をしたことがあるんだけど森山さんは「歩くしかなくてね僕は」「足痛くて」とか言って(笑)。じゃあ車椅子でみたいな会話をしたんだよね。何はともかく数ないと駄目なんだよねって。共通してみんな持ってるみたい。若い人が興味深いのはやっぱり森山さんの行動力だと思う。でも森山さんの可愛いいところはジャック・ケルアックに影響されて、あれは青春ですよって言うけど、そこは世代が違う。ケルアックはだらしがない(笑)。そういうエネルギーの使い方っていうのを、今の人たちは計算でやるからダメなんだよね。森山さんに憧れるんじゃなくて路上が好きだから撮る。その熱量が昔から繋がってると思う。
絵本作家になりたいカメラマンになりたいっていう人が多いんだよね。そうじゃないよね。写真しかしてないから写真家って呼ぶしかない。絵本作家になりたい人はたくさんいるわけ。絵本を描けばいい。そう言うと絵本の描き方がわからないって言うんだよ。絵は描けるんですけど絵本の組み立てができないんです。じゃあやめればいいじゃないって言うと冷たいとか言われたりして(笑)。俺は絵本が得意だから。絵本作家がかっこいいと思ってる人がいるらしい。絵本作家になりたいって、じゃあ描けよ。カメラを買って、カメラマンになりたい。いや撮れよ。その人たちの必要必然があれば絶対誰かが気にするよね。それはもう絶対そう思う。
僕の周りの、ある程度表に出ている人はみんな膨大にやってるよね。本当に膨大に。その膨大にやる熱量があるなしだけの話だと思うんだよね、そこんところはね。きつい言い方じゃなくて一番簡単な言い方なんだろうと俺は思っちゃう。もう一つは、アイディアだよな。アイディアは逆に今ありすぎるからと言いながら、そうでもないんだけど。アイディアだけじゃ全然おもしろくなくて、それだとただの企画屋さんになっちゃう。アイディアに基づく膨大な作業っていうのかな? そういうものは絶対必要な気がする。
今の絵本を描くということ。よくあるものじゃなくて別の切り口で描く、それはものすごく大事になってくるよね。時代は後からくるんだけど、今しか出せないものは絶対ある。それやんないと、この世の中かき分けて進めないよね。間違いなく。
ー五味さんは僕のような若輩者でも同じ目線で対応してくれますよね。
全くないんだよね、年齢とかさ。時間的にはずれてても同じことしてるじゃんって感覚的なものがあれば楽しいよね。相手のリベラルがどの程度のものなのかを試すのも楽しい。無視されたんだけど、「森山さん絵を作ってるでしょ」って言ったことがあって。森山さんは絵描きじゃないかなと思ったの。写真を基に絵を描いてる感じ。そう自分の中で見てみたら森山論が成り立ったな、俺の中では。絵描きなんだよね、あの人は。やっぱり独特な絵でしょ。カメラマンや絵本作家を安心安定の職業として選ぶんだったら違うよね。今の写真は結構安定しちゃってるよね。森山さんの不安定な写真を見てると逆説に写真だと思うんだよね。絵本を描いてやっぱり一番良いのは賛否両論あること。谷川俊太郎さんと、ちょっとお茶したときに賛否両論って最高ですよねって話した。一番つらいのは無視。どっちも聞こえてこないっていうのはつらいですよね。安定感みたいなものを求めちゃう世界が一番つまんないんだよね。この安心安定を持てる世界の中でそうはいかねえよっていうのがこういうタイプの仕事なんじゃないかなっていう気がする。見出そうとしてるわけじゃないんだけど、いやいや、安定してないから。もう不安定だからこれおもしろいんだよねっていうのを見せなかったらどうしようもないような気がするよね。
五味太郎
Taro Gomi
絵本作家。1945年東京都生まれ。桑沢デザイン研究所ID科卒業。絵本を中心に400冊を超える作品を発表。海外でも20カ国以上で翻訳・出版されている。 主な作品に、『かくしたのだあれ』『たべたのだあれ』(サンケイ児童出版文化賞)、『仔牛の春』(ボローニャ国際絵本原画展賞)、『さる・るるる』、『らくがき絵本』、エッセイ『ときどきの少年』(路傍の石文学賞)など。
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Photo:Makoto Nakamori
Interview:Makoto Nakamori
Text:Makiko Namie, Makoto Nakamori